賢治さんが見た建物その1 もりおか啄木・賢治青春館~賢治青春の街・盛岡再訪記4

 宮沢賢治が盛岡中学に進学し、盛岡にやって来たのは明治42年、
 折しもこの頃は、現在も残る盛岡を代表する近代建築が立て続けに完成した時期でもあります。

 賢治は盛岡がすさまじい勢いで近代都市に生まれ変わってゆく瞬間を、目の当たりにしていたわけです。

 以下、それらの名建築の内のいくつかをご紹介。



画像




 毘沙門橋


 ここを渡ると、めくるめく歴史的建築ゾーン。
 橋が極端に狭い上に、真ん中の雪が凍っていて、かなりこわい。

画像


 左、下の橋方面、右、中の橋方面。

画像
画像



 毘沙門橋周辺。

 橋を渡ったところから、城跡を見る。

画像
画像


 付近にあった学校。明るい雰囲気の校舎。

画像




 河原から、一本西の道に出ると、いきなり、この建築が現れる。


 もりおか啄木・賢治青春館 (旧第九十銀行)


画像



 第九十銀行は、明治11年、南部藩士が中心になって設立された、地元資本による盛岡初の銀行で、この建物は明治末期にその本館として建設された。

 現在は、盛岡市によって「もりおか啄木・賢治青春館」として生まれ変わり、親しまれている。
 今回のシリーズ記事のタイトル、「賢治青春の街・盛岡再訪記」にぴったりの施設。


 建物外観の割に広々とした、旧銀行ならではの趣のある内部空間(吹き抜けではないが、広々としている)等をうまく利用して、盛岡を中心にした啄木・賢治に係る展示が充実。
 前回の記事で書いた「注文の多い料理店」の初版本も展示されている。
 その他、これまた充実したミュージアムショップ、レトロな雰囲気の喫茶コーナーも、同空間に配置され、誰もが気軽に立ち寄り、くつろげる施設となっている。

 金庫室をそのまま使った「光と音の体験室 スバル」というのもあった。
 「盛岡城跡公園や石割桜などの盛岡の名所を、まるで銀河鉄道に乗った気分で5分程度の旅ができるスペース」(公式HPより)で、このような施設は、得てして最先端のハイテクを駆使したある意味あざとい物になりがちだが、こちらは手作り感満点の素朴さがとてもよかった。


 1階の常設展ももちろん見応えがあったが、

 2階展示ホールで行われた、

 第70回企画展

 盛岡風景を愛し描きつづけた画家 小笠原哲二展

 が殊の外すばらしかった。


画像


画像



 印象派風の色彩豊かな筆致で、盛岡のおなじみの風景が鮮やかに表現されていて、何とも言えない郷愁が感じられた。



 魅力的な建物


旧第九十銀行本館
 

画像



 明治43年竣工。

 賢治が(そして啄木も)通った盛岡中学卒業生の気鋭の建築家、横濱勉による、盛岡に現存する唯一の遺構。
 横濱勉が東京帝国大学工科大学建築学科を卒業して司法省技師となった直後の作品で、自分の全能力を注ぎ込んで故郷にシンボリックな建築を、という若々しく清新な覇気が全体にみなぎっている。(盛岡銀行本館は、この建物が完成した翌44年に完成)

 威風堂々として厳格なイメージの盛岡銀行本館(この後の記事に登場)に対し、柔らかで美しい佇まいが魅力。

 ドーマー窓を配した尖がり屋根(マンサード型)、窓やエントランスの配置等、いずれも微妙にアンシンメトリーで、それによってさらに柔らかな雰囲気が醸し出されている。
 窓の大きさ、配置、ほんの些細なズレが、観る者の心にしなやかなリズムを感じさせる。
 建築が音楽に例えられる所以だろう。

 盛岡再訪記2、「注文の多い料理店」の回で、賢治の「共感覚」のことを書いたが、賢治さん、これらの建物を見て、音楽が聞こえただろうか。 


画像



 窓や入り口アーチ等には地元の岩をふんだんに使用、建物の角にいたっては、無造作に粗石を積み上げているが、デザインが洗練されているので、決して重くなっていない。
 控えめにもほどがある列柱、まるで生物の細胞にようにキメの細かい煉瓦、すべてが「優美さ」につながっている。

画像
画像


画像
画像




 特徴的な屋根。

画像




 内部。(展示物は、撮影禁止)


 木をふんだんに使った内装。


画像



画像
画像



画像
画像



画像




画像
画像



画像




画像




 すぐ近くにある、


 おでってプラザ・盛岡てがみ館


 なぜか入り口にモンゴルのゲルが。

 右は、いわて国体の花飾り。


画像
画像



 第48回企画展

 宮沢賢治を愛した人々

 というのを開催していた。


画像



 手紙がずらりと並んでいて、賢治さんの書いた手紙だと思って読んだら、大部分は清六さんの手紙だった。
 字がそっくりなので驚く。そう言えば、羅須地人協会の「下ノ畑ニ居リマス」の文字は、清六さんが賢治の文字をまねて書いたものだという。

 この展覧会は、賢治自身の手紙、というより、賢治の作品に惹かれ、後世に残そうとした努力した人々の手紙が中心の展示会なのだった。

 職員の方?が展示のポイントを熱心に説明してくださったので、思わず賢治話に花を咲かせてしまった。





そのほかの「記事目次」

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

過去ログ

テーマ